大御門の解釈の疑問
2019年 09月 14日
前回の続きをしましょう。
② 『万葉集』に一つの歌の中で、同じ言葉を別の意味に用いている例が、
あるかどうか調べてみましょう。
通説は、なぜ同じ言葉を、違う意味に解釈するのだろうか。詩人の言葉遣いは、
凡人である我々の言葉の使い方と違うかもしれませんが、より厳密に理解すべきと思います。
『万葉集』では、同じ用字で、別の意味に用いている例は、199番歌の「吾大君」
しかありません。天武天皇と、高市皇子の二人とされる例だけです。
同じ用字を一つの歌に繰り返し用いている例は、非常にたくさんの例がありますが、
199番歌の例だけなのです。
「大御門」を別々の意味に使うのであれば、用字を変えるのが『万葉集』の
言葉遣いです。例えば、一番歌に「こも」と詠うものがあります。
これは「籠毛」と「籠母」に書き分けています。「われこそは」は、
「吾許曾」「吾己曾」「我許曾」と書き分けています。もちろん例外もあります。
131番歌の「ひとこそみらめ」は「人社見良目」で同じで、一つの用字です。
しかし、138番歌では「人社見良目」と「人社見良米」に書き分けています。
この様に『万葉集』では、例外もありますが、意識して同じ発音で、かつ、
同じ意味を現す場合でも、異なった用字を用いているのです。
「大御門」と5回も同じ用字を一つの歌で繰り返すのは、『万葉集』では
異例中の異例なのです。
何か特別の意味があると理解し、解釈するのが、後世の我々がタダで歌を観賞する
者として、歌の作者に対して取るべき礼儀でしょう。
歌は小説のように長くはありません。短いために言葉を選びに選んで、考え抜いて
用いているのでしょう。したがって、同じ用字の繰り返しは、避けようとするものです。
もし、「大御門」を宮殿の意味だとするならば、その表現についても、門と同様に、
「御門・宮・大宮・宮殿・大殿・安殿・朝廷・朝堂・宮室・内裏・王宮」など、
たくさんあります。
すべてが当時から使われていたかどうか不明ですが、これらを含めて豊富にあったと
考えられます。なぜ書き分けなかったのでしょうか。疑問です。
同じ発音で、別の意味を持たせる場合は、『万葉集』では別の漢字を用いています。
一例を示すと、次のようなものがあります。
992番歌に「あすか」があります。「明日香」と「飛鳥」に書き分けています。
「明日香」は、猿沢の池の近くとされています。「飛鳥」は、天武天皇などの
都のあった場所です。明らかに、同じ発音でも違う意味の場合は、違う表記
にしているのです。
ただ、今日では両者は同じ場所の意味で、時代によって用いている表記が
変わったとされますので、ややこしいですね。
通説は、一つの用字には、一つの意味を持たせるという『万葉集』の暗黙の
ルールを無視しているということができます。通説の考えでは、極めて異例の
用法になるからです。
② 『万葉集』に一つの歌の中で、同じ言葉を別の意味に用いている例が、
あるかどうか調べてみましょう。
通説は、なぜ同じ言葉を、違う意味に解釈するのだろうか。詩人の言葉遣いは、
凡人である我々の言葉の使い方と違うかもしれませんが、より厳密に理解すべきと思います。
『万葉集』では、同じ用字で、別の意味に用いている例は、199番歌の「吾大君」
しかありません。天武天皇と、高市皇子の二人とされる例だけです。
同じ用字を一つの歌に繰り返し用いている例は、非常にたくさんの例がありますが、
199番歌の例だけなのです。
「大御門」を別々の意味に使うのであれば、用字を変えるのが『万葉集』の
言葉遣いです。例えば、一番歌に「こも」と詠うものがあります。
これは「籠毛」と「籠母」に書き分けています。「われこそは」は、
「吾許曾」「吾己曾」「我許曾」と書き分けています。もちろん例外もあります。
131番歌の「ひとこそみらめ」は「人社見良目」で同じで、一つの用字です。
しかし、138番歌では「人社見良目」と「人社見良米」に書き分けています。
この様に『万葉集』では、例外もありますが、意識して同じ発音で、かつ、
同じ意味を現す場合でも、異なった用字を用いているのです。
「大御門」と5回も同じ用字を一つの歌で繰り返すのは、『万葉集』では
異例中の異例なのです。
何か特別の意味があると理解し、解釈するのが、後世の我々がタダで歌を観賞する
者として、歌の作者に対して取るべき礼儀でしょう。
歌は小説のように長くはありません。短いために言葉を選びに選んで、考え抜いて
用いているのでしょう。したがって、同じ用字の繰り返しは、避けようとするものです。
もし、「大御門」を宮殿の意味だとするならば、その表現についても、門と同様に、
「御門・宮・大宮・宮殿・大殿・安殿・朝廷・朝堂・宮室・内裏・王宮」など、
たくさんあります。
すべてが当時から使われていたかどうか不明ですが、これらを含めて豊富にあったと
考えられます。なぜ書き分けなかったのでしょうか。疑問です。
同じ発音で、別の意味を持たせる場合は、『万葉集』では別の漢字を用いています。
一例を示すと、次のようなものがあります。
992番歌に「あすか」があります。「明日香」と「飛鳥」に書き分けています。
「明日香」は、猿沢の池の近くとされています。「飛鳥」は、天武天皇などの
都のあった場所です。明らかに、同じ発音でも違う意味の場合は、違う表記
にしているのです。
ただ、今日では両者は同じ場所の意味で、時代によって用いている表記が
変わったとされますので、ややこしいですね。
通説は、一つの用字には、一つの意味を持たせるという『万葉集』の暗黙の
ルールを無視しているということができます。通説の考えでは、極めて異例の
用法になるからです。
by t-kodama-kojiki
| 2019-09-14 13:25
| ②『万葉集』藤原宮の御井の歌